善悪→人間性vs社会性
マクロ系の善悪は
ミクロ系で人間性vs社会性に進化した
即ち社会性は悪を拡張したモノとなった
従って社会適合すればいいということではなくなった
社会性は身体的生理的なシステムである
つまり魂の入っていない仏像=リアリティ
魂の入った仏像=コンプレックス
魂は身体にはイマジン
この世界で国家は魂の入ってない仏像
国家は魂不感症
国家は実数系だから確かに存在する
だが精神世界に対応せず
精神事象を混乱原因として排除
サリンジャーはこれを統合し乗り越えようとして
統合失調になった
紫の上はこの力を利用
何物にも負けない力を生み
=天に帰った
サリンジャーに死はすべての終わり
死は生の存在不可能という可能性である
紫の上には天に帰ること
殺されることが天に帰る
=生は死の存在不可能という可能性である
幸福とか感動
人間の実存に関係ない
それは本質
幸福や感動の先に悠久の生がある
只管実存!
不幸や絶望を生のエネルギーとして使う
日本柔道忍術
日本文化道の作法!
ミクロ系で人間性vs社会性に進化した
即ち社会性は悪を拡張したモノとなった
従って社会適合すればいいということではなくなった
社会性は身体的生理的なシステムである
つまり魂の入っていない仏像=リアリティ
魂の入った仏像=コンプレックス
魂は身体にはイマジン
この世界で国家は魂の入ってない仏像
国家は魂不感症
国家は実数系だから確かに存在する
だが精神世界に対応せず
精神事象を混乱原因として排除
サリンジャーはこれを統合し乗り越えようとして
統合失調になった
紫の上はこの力を利用
何物にも負けない力を生み
=天に帰った
サリンジャーに死はすべての終わり
死は生の存在不可能という可能性である
紫の上には天に帰ること
殺されることが天に帰る
=生は死の存在不可能という可能性である
幸福とか感動
人間の実存に関係ない
それは本質
幸福や感動の先に悠久の生がある
只管実存!
不幸や絶望を生のエネルギーとして使う
日本柔道忍術
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